こんにちは。
GWも終わり、通常営業になっています。GW中も訪問診療は通常通りでしたが。
今日の写真はどこのジャングルだ?って感じの一枚ですが、何のことはない通勤途中の玉川上水の風景です。都市部にもこんな感じの場所があるんです。
先日、何歳まで働くつもりなんだ?って聞かれたので、なんとなく70歳と答えました。正しくは身体が機能しているうちは期限を決めずに働くってところですが、身体が現在の業務に耐えられるのは70歳ぐらいまでかなあと漠然と思ってたりしています。
そんなわけで、医師という職業をだいぶ長いこと続けてきており、これからももう少し続けるつもりでいますので、長く続けるための『コツ』みたいなものについてちょっと考えてみました。
何事においても長く続けるためには頭と体と心をいい具合に保つ、ということが必要でしょう。頭に関しては、DXとかICTとかさらにはAIとかによる支援がありますので、昔よりだいぶ楽ですね。おかげでかなりの年齢まで前線で活動できたりします。体に関しては、働き方改革思想が広まったことにより、無理して働くことは悪であると認識されるようになったので、やっぱり昔より楽ですね。昔は36時間連続勤務なんてざらでしたから。
心はというと、残念ながら昔より楽になったと感じられるものはないようです。時代の進化とともにむしろ心の負担は大きくなっている印象もありますね。
『無念さ』という感情は皆さんも経験あるでしょう。『悔しさ』の最上級といった感じでしょうか。普通の生活の中では、そう頻繁にあるものではないですよね。ところが、医療業界、特に救命救急医療や緩和ケアの分野では、『無念』という感情を毎日のように自覚することになります。
『無念』とは、なにがしかの状況に置いて自分の力では解決することができず、喜ばしくない結果に陥った時に感じるものなのだと思います。人間の体とか命とかって、本来医師ごときの力でどうにかできるものではなかったりします。ですから、喜ばしい結果が得られたとしても医師の力で解決できた、などと思うのは自惚れだったりするのです。
だからと言って、「医師なんて無力だ」と厭世的になってしまうとかえって心をいい具合に保つことができなくなります。医師を続けられなくなってしまうかもしれません。
自制心を持ちながら自惚れを自覚し、当然相対する感情としての無念をも感じ、そのうえでうまく折り合いをつけることが大事だと思うのです。
では、『無念』とどうやって折り合いをつければよいでしょうか。
はい、いい方法はありません。当ブログにありがちな元も子もない結論です。すみません。
医師というのは無念を背負いこむのが仕事なんだ、と覚悟を決めるしかありません。無念をどれだけ背負いこんだかがいい医師の条件だ、ぐらいに感じるべきだと思います。若干マゾヒスティックですが。注意しなければならないのは、『無念』に鈍感にならないことです。無念を感じなくなることと無念をたくさん背負いこんだうえで平然としていることは全く次元の違う話なのです。
緩和ケア、特に在宅緩和ケアは『無念』を感じることが非常に多いと思います。
いのちが終わっていくことに対してわれわれは無力ですが、苦痛を減らすことに関してはわれわれ(職業問わず在宅緩和ケアに従事するすべての人)は力を持っています。いのちが終わっていくまで、もっと言えばいのちが終わった後も、われわれにはやれることが無限にあります。当然やり残しもあります。『無念』を感じるわけです。
もうひとつは、在宅緩和ケアを受ける患者さん・家族さんはみなさん大きな『無念』を感じています。当然です。われわれはその『無念』ひとつひとつに共感しなければなりません。共感は緩和ケアの第一歩です。
『無念』を背負いこんで背負いこんで背負いこんで、ときに『自惚れ』も自覚して、心をいい具合に保つことが長く働くコツなのです。もちろん、つらくなったら休まなきゃダメです。僕も70歳過ぎたら休むかもしれません(あと〇年です)。
