こんにちは。
3月になりました。確実に春がやってきていますね、花粉とともに。
うちのスタッフが診療所(と言っても事務所ですが)の玄関に置いてくれた桃の切り花を貼っておきます。いい感じです。
今日は医療・介護の現場で出会う『ダメだ』について考えてみます。
たとえば「食べちゃダメだ」とか「食べなきゃダメだ」とかってよく言われます。「歩いちゃダメだ」とか「歩かなきゃダメだ」なんてのもありますね。「どっちなんだい!」と言いたくなるかもしれませんが、それは文脈や状況によって異なります。当然です。
強弱の問題としては、『ダメだ』の下に「べきだ(べきじゃない)」があって、その下に「した方がよい(しない方がよい)」があります。ステップラダー的です。いずれにせよ相手にある方向に向かうよう仕向けているわけです。
そして、「ダメだ」と言われると逆らいたくなるのが人間の性です。ただいきなり拒絶するのは大人げないので、まずは「どうして?」と質問してみます。
すると即座に返答が来ます。「誤嚥する可能性があるから食べちゃダメだ」とか「痩せてしまうから食べなきゃダメだ」とか、「転倒の危険があるから歩いちゃダメだ」とか「身体機能を維持するために歩かなきゃダメだ」といった具合です。
ここで納得するのがスマートかもしれませんが、天邪鬼はさらに聞き返します。「どうして誤嚥しちゃダメなの?」「どうして痩せちゃダメなの?」、「どうして転んじゃダメなの?」「どうして身体機能を維持しなきゃダメなの?」。
すると一瞬間をおいて、真顔で返答されます。「肺炎になったら困る」「元気がなくなったら困る」、「怪我したら困る」「寝たきりになったら困る」。
こう言われたらしぶしぶでも従うべきかもしれませんが、さらに聞き返すこともあるでしょう。「どうして肺炎になったら困るの?」「どうして元気がなくなったら困るの?」、「どうして怪我したら困るの?」「どうして寝たきりになったら困るの?」。
ここまでくると最終段階です。究極的な返答が来ます。「死んでしまうかもしれないから」「長生きできないから」。
そうです。医療・介護の現場での『ダメだ』は究極的には『命にかかわる』問題なのです。
そしてとうとう行きつくところまで行くことになります。
「死んでもいいんだよ」「長生きしなくていいんだよ」という意思表明に至ることがあるわけです。
これ、極端な話をしているように思われるかもしれませんが、医療・介護の現場では日常茶飯事として繰り返されています。
問題なのはこの「死んでもいい」「長生きしなくていい」がどれくらい本気で言っているかです。
一般社会でも、「死んでもいい」というフレーズはよく使われますが、おそらく99%は実際に死ぬわけではない、死ぬとは思っていないでしょう。ところが、医療・介護の現場では本当の意味で『死』に直結する問題だったりします。売り言葉に買い言葉だったりやけくそだったりすることもありますが、本心から『死』を受け入れたうえで「死んでもいいから○○したい(したくない)」という意思を表明されることもあるのです。
医療者としては、患者さんが本気で「死んでもいいから」とおっしゃるのなら、『ダメだ』は撤回します。患者さんが文字通り命がけで言うのであれば、こちらは医師生命をかけて同意します。それが緩和ケアを担当する医師の務めだと思っています。
ただ、家族間ではそうはいきませんね。本気の「死んでもいい」と本気の「死んでほしくない」がぶつかり合うことがあります。つらいことです。そういう時医療・介護従事者の役割は「妥協点を探る」ことになります。患者さん・利用者さんの意思をすべてではないけれど叶えることを目指してご家族に歩み寄ってもらうわけです。
簡単ではありません。患者さん・利用者さんが逝ってしまった後にはご家族が遺されるわけですから。
医療・介護の現場での『ダメだ』は重いのです。
