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平等と公平について

こんにちは。

北風が本当に冷たくなってきました。外回り業務はきついですね。

 

今日は平等と公平について考えてみます。

左の図は平等(Equality)と公平(Equity)の違いについて考えるときによく引き合いに出される図です。公平ということの重要性を端的に表しています。平等より公平の方が一段階上位の思想であると言ってもよいでしょう。

これを言葉にしてみると、何らかの評価基準(図では身長という基準)について評価したうえで、標準値よりどれだけはずれているか(身長が高いか低いか)によって報酬(場合によってはペナルティ)を決定する、ということになります。

要するに、公平というのは手間がかかるわけです。

 

この図で言及していないことがあります。それは、『立てる人(あるいは目が見える人、球場に行ける人)』に限定して考えているという前提です。

公平とは対象者をまず限定することから始まるのです。ということは、非対象者をどうするか、という新たな問題が発生することになります。図に関して言うと、車いす利用者など立って観覧することができない人には別の席を設ける、というような方法をとったりするわけです。

公平の質を高めるためには手間がかかるのです。

 

公平の質を高める、というのはその社会が成熟すること、進化すること、発展すること、だと思います。

公平の質を高めるためには、

・さまざまな基準を設定すること

・その基準を評価すること

・評価の結果に対し報酬(あるいはペナルティ)を分配すること

・基準の対象から外れた人・状況に対し対処すること

などが必要です。さらにはその評価を適切に(文字通り公平に)行うための訓練、適切に行われているかの評価、といった作業も必要です。

とにかく手間がかかる。そして、この手間がかかるということを別の言い方で言うと、効率が悪い、コスパが悪いということになるのです。

 

皆さんの周りではどうでしょうか。

効率重視、コスパ重視のあまり、公平性より平等性に偏っていないでしょうか。

当然ですが、平等自体は悪いことではありません。平等を叫ぶのは簡単ですし、その声に逆らうのは難しいという面があります。それでも平等はあくまでも非対象者のない大前提にすぎません。

平等重視、効率重視、コスパ重視はある意味思考停止だと思うのです。

 

公平性とは『頑張った人が報われること』だと思うのです。

そのためには、どう頑張ったかを評価することと、頑張りたくても頑張れない人を認定し配慮する必要があります。面倒で手間がかかります。一見平等性が損なわれたように見えたりもします。

それでも、頑張った人が報われる社会であってほしいと願っています。