緩和ケアの本質にかかわること

こんにちは。

だいぶ間が空いてしまいました。気が付けば今年初の投稿ですね。申し訳ないです。

 

今日は緩和ケアの本質にかかわることについて考えてみようと思います。

 

世の中には効果的な治療法のない進行性の、しばしば致死的な疾患や病態がたくさんあります。残念なことですがそれが現実です。

その様な方に対しては病気を治す医療、さらに言えば生存期間を延長する医療は効果的ではありません。

その様な方に対峙した時、医療従事者は無力感にさいなまれるのです。しかし、大事なのはそのあとです。

 

効果的な治療法のない疾患・病態の患者さん(そして家族さん)に対しても、緩和ケアは常に効果的な可能性があります。なぜなら緩和ケアの効果の評価尺度はQOLだからです。

患者さんがどのような状態であろうともQOLが改善する余地は常にあるのです。

 

 

在宅医療の対象者は、このような状態の方がほとんどと言ってもよいでしょう。あるいはそのような状態になったところから在宅医療が始まるという場合も多くあります。

ですから、在宅医療はすなわち緩和ケアである、とも言えるわけです。

 

QOLの維持向上を目指すとき、在宅という『場』は有利に働きます。何においてもアウェイよりホームの方が有利なのは普遍的ですね。

そして緩和ケア=医療ではありません。むしろ医療は緩和ケアのごく一部に過ぎません。QOL維持向上に効果的な行為はすべからく緩和ケアに含まれます。保険適応の有無も本質的には関係ありません。

ただ、ここに一つ注意点があります。

 

 

世の中には人の弱みに付け込む商売があふれています。

効果的な治療法のない疾患・病態の患者さんと家族さんの、藁をも掴みたいという切なる思いに付け込んで商売する人たちがいます。そういうものはみな科学的な効果は示すことはできませんが、科学的には評価できない効果、すなわちQOLに対する効果に関してはインチキと断定することは困難です。

確かに、たとえ科学的効果がなかったとしても患者さんにとってQOLが改善したと感じられるのなら、緩和ケア的には一定の評価はなされなければなりません。

 

では、営利目的のニセモノの緩和ケアと、本物の緩和ケアをどうやって見分ければよいでしょうか?

保険適応の有無では判定できません。なぜなら保険適応ある行為においてもおよそ緩和ケア的ではないものもあり、保険適応のない行為(たとえばマッサージなど)においてもまさしく緩和ケアとして効果的なものおあるのです。

 

もっとも効果的な見分け方は、その患者さんの人生の最期の最期までちゃんと責任を持って関わり続けるかどうかだと思っています。

ニセモノは必ず途中で逃げ腰になります。商売のうま味がなくなった時点で、去っていきます。

 

われわれは決して逃げ出しません。

最期の時が近づけば近づくほど、より濃厚に関わります。

病状の進行によりできないことが一つ増えたら、サポートを一つ増やします。苦痛が増強したら、苦痛を和らげる処置を増やします。そうすれば、少なくともQOLの維持につながります。そこに様々なプラスアルファを加えることでQOLの向上を目指すのです。

 

人生の最期の時まで伴走するのが本物の緩和ケアなのです。