Shared decision making について

こんにちは。秋も深まって北風が冷たい季節になってきました。

 

今日はShared decision making について考えてみようと思います。

横文字ですみません。頭文字をとってSDMともよばれています。

日本語訳としては共有意思決定とか、共同意思決定とか、協働的意思決定などがあります。意思決定という作業の責任・役割を参加者で分担(share)しつつ共同作業として行う、という意味だと思います。

 

というわけで医療におけるSDMとは、医療者と患者さん・家族さんがともに参加して話し合い患者さんの診療の方針を決定する、ということになります。こう言ってしまうとごく当たり前のことな気がしますね。ただ現実的にはそう簡単な話ではないのです。

 

SDMが広く取り上げられるようになったのは、2000年以降です。20世紀まではそういうことは行われていませんでした。20世紀においては診療方針は医学的な考察だけで決定される、と考えられていました。診療方針はは医療者が一方的に決める(=パターナリズム)、あるいは医療者が考えた方法を患者さん・家族さんに説明し同意を得て行う(=インフォームドコンセント)、というものだったのです。もちろん現代でもそれが必要な場面はあります。

 

21世紀に入り、緩和ケアの発展とともに診療方針決定に医学的考察だけでなく人生(QOL)という要素を組み込むことが重要視されるようになりました。医学が進歩すればするほど、治らない病気は治らないということが明らかになり、あるいはどのような医療を行い病を切り抜けたとしても最期は命が終わるという事実を重くとらえるようになってきました。

診療方針決定に際し人生の質(QOL)を評価軸に置くなら、それを主体的に評価するのは医療者ではなく患者さん・家族さんであるべきです。SDMという考え方が広まったのは当然の成り行きといえるでしょう。

 

それでもSDMが容易なことではないのにはいくつか理由があります。

そのひとつは、事前に持つ医療情報・知識の圧倒的な差です。情報の非対称性と呼んでいます。それを埋めるためには前もって医療者が、とりうる選択肢について益と不利益とを患者さん・家族さんに理解してもらえるように十分にていねいに説明する、という作業が必要になります。時間的制約がある中で、なかなか大変な作業です。

もう一つは、結局のところ未来のことはだれにもわからない、という問題があります。医療の不確実性とも言われます。

 

緩和ケアの現場においては、担当する医療者はそもそも医療(生命維持を最優先した)に偏った診療方針の提示は行いません。常に患者さんのQOLを重視して方針を提案します。そういう意味では、一般の医療の現場よりSDMを行いやすい環境にあると言えます。ターミナル期が深まって行けばいくほど、医療よりQOL重視の色合いは濃くなっていきます。

未来のことはわからない、とはいうものの、病気の進行とともに体力が低下し体の機能が低下していき、そう遠くない先に最期のときが来る、という事実は100%に近い精度で推測可能です。それをふまえて医療者は診療方針を提案します。

 

患者さん側に、病気を治したい、体調を回復させたい、もっと生きたい、生きるための努力をしたい、という思いがあるのは当然です。痛いほどわかります。しかしながらその思いが強いがあまり、医療者側からの情報提示やQOL重視の診療方針提案に耳を貸さず、生命維持をとことん目指した診療を希望されることがあります。そして、科学的に根拠の乏しい自由診療の施行を望まれることもあります。

そういうときのSDMは非常に難しいものになります。

医療者側が医療に偏った診療方針を提示し、患者さん側が人生に偏った希望を提示し、双方の思いを取り入れて方針を決定する、というのが一般的に想定されるSDMですが、ターミナル期の緩和ケアにおけるSDMの様相はそれとは異なるものなのです。

 

いのちの終わりを受け入れるのは非常につらいことです。世の中で一番つらいことでありかつ絶対に逆らえないことでもあります。

どのような状況においても患者さん・家族さんのQOLを最重視した診療方針を提案していこうと思っています。