ケア・スタッフにとってのACP

こんにちは。

まだまだ暑い日が続きそうですね。室内での熱中症発症も油断できませんので、みなさん気を抜かずにお過ごしください。

 

さて、「ケア・スタッフにとってのACP」というお話をしてみようと思います。

先日オンライン勉強会で扱ったテーマです。

 

ACP(Advance Care Planning) ということばはだいぶあちこちで聞かれるようになりました。

われわれの業界内では日常的に使われています。

一方で、患者さん・家族さんに「ACPはー」とお話ししても、きょとんとされる方が多いのも事実です。「人生会議という愛称でー」と説明しても、そこで思い出される方も残念ながら少ないようです。

僕はそれを問題視する必要はない、と思っています。ACP(人生会議)はまずわれわれケア・スタッフが必要と感じたときに患者さん・家族さんに説明し、開始するものだと思っています。

 

というわけでケア・スタッフはACPの概念については事前に知っておかねばなりません。そして、実際の現場ではその患者さんのACPの共演者(場合によっては脚本家、監督、助監督など)になるわけです。医師、看護師、ケアマネージャーなどに限定されるものではなく、すべてのケア・スタッフが必然的に共演者になるのです。

 

そこでは様々な問題に出くわします。

よくあるシナリオとして、重大な病気を抱えた患者さんから「死にたい、死なせてくれ」と言われたらどうしますか? というものがあります。とても重く、対応が難しい難題です。絶対的な正しい対応法などというものはありません。臨機応変な対応が必要です。

反対に、「病気が治って元気になりたい」と言われることもあるかもしれません。そして、とても残念なことに、多くの場合この希望はかないません。

 

「死にたい」も「元気になりたい」もどちらもかなえてあげることができないという状況の中で、ケア・スタッフはどのようにふるまえばよいのでしょうか?

そこには3つのステップがあると思っています。

 

ひとつめは、まず「なぜそのような発言をするのだろう?」という問いを立てることです。

突発的に出てきた言葉なのか? ずっと抱えてきた本音が出たのか? 逆に捨て鉢な心境になって発したのか?

その発言に至る『文脈』に思いをはせるということです。

これは【ナラティブホーム https://www.narrative-home.jp/ 】の佐藤先生の受け売りです。

「死にたい」という思いに直接的に答えることはできなくても、そこにいたる『文脈』の中には自分にもできることがあるはずだと考えるのです。

 

ありがちなたとえ話をします。

体調が悪い中でも必死に自律した療養生活を送ってこられた方が、初めて失禁してしまったとしましょう。着衣やベッドを汚してしまったと。それに気づいた時、「もう死んでしまいたい」という発言が出ることがあります。

これはケア・スタッフとしては対応は可能ですね。代償手段を提示することはできる。しかし、安易に対応してはいけません。ここでさらに『文脈』を掘り下げて考え、問いを立て、患者さんご本人の尊厳を最大限守る形で対応するわけです。

 

ふたつめは、たとえ解決できない問題を抱えてしまっても、そこに『居続ける』という姿勢を持つことです。

「あなたの希望を叶えることは私にはできないけれど、私はここにいます。役に立つかどうかはわかららないけれど、ともに考え続けます。」ということを表明するのです。

これにはある種の覚悟が必要です。解決できない問題に直面しても逃げない力が必要です。

その力のことを『ネガティブ・ケイパビリティ』といいます。

これは【社会的処方研究所 https://note.com/tnishi1 】でおなじみの西先生の受け売りです。

 

患者さんご自身も、「死にたい」も「元気になりたい」もかなえられない思いであることはそれこそ痛いほどわかっておられます。ですから、答を求めているのではないのかもしれません。ただ一緒に考えてほしいのかもしれません。ただそばにいてほしいのかもしれません。

思いをかなえることはできなくても、そこにいるだけで、意義はあるのです。

 

みっつめは、時間の経過を受け入れる、ということです。これこそがACPです。

ACPはプロセスです。何かを決めることがACPの本質ではありません。考えながら進むプロセスなのです。

残念ながら、時間の経過とともに患者さんの病状は進んでいきます。患者さんにもわれわれケア・スタッフにも時間は平等に過ぎるのですが、状態の変化は平等ではありません。

一緒に時間を過ごしプロセスを歩んでいくことにACPの本質があります。だからこそすべてのケア・スタッフはACPの共演者なのです。

 

自分の死期が近いことを感じ取った患者さんの、死への恐怖を和らげるために、「あなたという存在はわたしの心の中に刻み込まれました」と伝える、あるいはそのような思いをもって接するということは効果的です。「あなたがこの世を去ったあともあなたの存在はわたしたちの心の中に居続けます」ということです。

患者さんのACPに共演するというのはそういうことだと思うのです。

これが共演者の務めです。

 

患者さんの思いを文脈的に理解し、問題にともに対処するという姿勢を示し、それを進めていく。

これがケア・スタッフにとってのACPだと思っています。