こんにちは。
天気が日替わりで安定しない日々ですね。ただ、秋晴れはやはりいい気持ちです。
今回は先日のブログ記事『死亡時刻について』の続編的な話です。
今回もナイーブな話題ですので、気になる方はスルーしてください。
今回は死亡場所にフォーカスして考えてみます。
前回のブログで、「最期の時は本人の意思を推定して決める、本人が納得すると思われる時を死亡時刻として診断する」というような話をしました。同じ理屈で、『亡くなる場所』も本人が納得すると思われる場所にしたいと考えますが、こちらもちょっと厄介なところがあります。
前回も死亡診断書作成ルールについて触れましたが、今回もそこを考えてみます。
厚労省の死亡診断書記入マニュアルには死亡時刻に関し『救急搬送中の死亡に限り医療機関において行った死亡確認時刻を記入』と書かれています。これ、簡単な文章ですが、言っている意味がよくわかりません。『救急搬送中の死亡』ってどういう意味なのでしょう。救急搬送中というのは救急車内に収容してから病院に到着するまでの間ということでしょうか。それとも119要請されたときからでしょうか。救急隊が現場に到着したときからでしょうか。さらに重要なのは、救急搬送中に死亡したということを誰がどうやって判断するのかということです。死亡を確認(診断)できるのは医師だけですから、その場に医師がいない限り救急搬送中に死亡を確認ということはありえません。
要するに、このマニュアルを作成した人は、そのあたりのことをちゃんと考えてはいないということなんだと思います(厚労省に対する批判です)。
結果的に、心肺停止状態で救急搬送された方については(心肺蘇生処置の有無にかかわらず)診療を担当した医師が死亡確認を行った時刻を死亡時刻としていることがほとんどだと思います。当然の帰結として、死亡確認を行った場所、すなわち病院が死亡場所にならざるを得ません。
そこにご本人の意思が入り込む余地はほとんどなさそうです。悲しいことです。
では、どうしたらよいでしょうか。
もしも、最期の時を自分の家で迎えたいという意思をお持ちでしたら、最期の時に救急搬送されなくてもいい状況を作っておかなければなりません。
それには二つの方法(必要条件)があります。ひとつは、かかりつけ医を持つこと。もうひとつは、在宅医療・訪問診療を受けておくことです。ただし、これらは十分条件ではありません。かかりつけ医が不測の事態発生時に往診してくれるとは限らないですし、たとえ訪問診療を受けていても緊急時には119要請を指示されることすらあります。難しいですね。
自分の最期の時を、漠然とではなく具体的に考え備えておくのはエネルギーのいることです。特に間近に迫っていると考えられるときには、精神的な負担も大きいと思います。だからこそ、早めに信頼のおけるかかりつけ医を持っておくことが重要です。そしてそのかかりつけ医さんと自分の最期の時の迎え方について話し合っておくのがよいでしょう。その際に、かかりつけ医さんが訪問診療もやってくれるか、不測の事態が発生したときに往診してくれるか、を確認しておく必要があります。もしそういう対応はしてもらえないのなら、信頼のおける在宅医を紹介してもらうのが理想的です。
人生の最期の時に対する自分の思いを率直に担当医にぶつけてみてください。それを真摯に受け止め、適切な対応をしてくれる医師が信頼のおける医師だと思います。
納得のいく最期のときを迎えてほしいと願っています。それがターミナルケアのもっとも重要な部分だと思っています。