こんにちは。
10月に入り急に秋らしくなってきました。過ごしやすいのはありがたいことです。
今日は死亡時刻というものについて考えてみます。
ナイーブな話題ではありますので、ストレスを感じる方はスルーしてください。
人が亡くなると死亡診断書というものが作成されます。当然死亡を診断した医師が作成します。
死亡診断書には死亡した日時(『死亡したとき』と表現されています。)を記入するのですが、これがいささか難しいのです。厚労省の死亡診断書記入マニュアルには「死亡確認時刻ではなく死亡時刻を記入する」とされています。言わんとしていることはわかりますが、では死亡時刻とは何か? どうやって判定するのか? ということは書かれていません。
入院患者さんでは死亡確認時刻と実際の死亡時刻の間にずれがほとんどないと思われるので、死亡確認時刻を死亡診断書に記入することが多いでしょう。ところが、在宅療養患者さんでは状況が大きく異なります。死亡確認時刻と実際の死亡時刻の間のずれがかなり大きくなることが多いのです。
死亡確認という行為は技術的にはそれほど難しいものではありません。死の三徴といわれる心停止、呼吸停止、瞳孔散大対光反射消失のすべてが認められることを確認すればよいのです。しかし、それをもとに『死亡』と診断するのは医師でなければできません。ですから報道などで「心肺停止状態で搬送」というような表現がなされるのは、医師の診断を受ける前の状態だからです。
一方で実際の死亡時刻を特定するのは非常に難しいことです。というか正確に特定することはできないと言ってもよいでしょう。正確な死亡時刻はわからないにもかかわらず、死亡診断書には死亡確認時刻ではなく死亡時刻を記入せよという無理な注文がなされていることになります。
正確な死亡時刻がわからない以上、死亡診断書には正確というよりは妥当性の高い時刻を記入することになります。この『妥当性』の判断は診断した医師にゆだねられています。そして『妥当性』の評価基準は、実は医師によってかなり違います。『妥当性』には幅があるのです。
僕の場合は、その『妥当性』の評価基準として『納得がいく』ということを重要視しています。誰が『納得がいく』かというと、当然亡くなっていくご本人です。というか本人以外ありえません(大まじめです)。
しかしながら、大変残念なことにご本人がその死亡時刻で納得されているかどうかを知ることはできません。知ることができない以上推定するしかありません。この推定作業は担当医とご家族と関係者で協働して行うことになります。
在宅で死亡確認となった際(在宅看取りと呼んでいます)には、まずご家族にそのような状態に至った経緯をお聞きします。ご家族が見守っているときに大きな呼吸をした後静かになった、ご家族の呼びかけに応じるように一筋の涙が流れた後静かになった、握っていた手の力がふっと抜けていった気がした、夜中にふと気になって見に行ったら呼吸をしていなかった、朝起きてみたら呼びかけに反応がなかったなど状況は様々です。大事なのはご家族がそういう状態を認識した時刻です。おおよその時刻を思い出していただき、その時刻を死亡時刻とすることがご本人が最も納得してくれるのではないかとお伝えして、診断しています。
ご家族の動揺が大きく、事態を受け入れられていないときは、きっとご本人もまだご自分の死を納得されていないのではないかと考えます。そういう場合は、死亡確認したことをご家族に宣言することによってつらいながらも事態を受け入れていただき、受け入れていただいたことでご本人も納得がいくだろうと推定し、死亡確認時刻をもって死亡時刻としています。
推定するのは死亡時刻ではなく、ご本人の意思です。人生最期の時はご自身に決めていただきたいと思っています。