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エイジズムに関して

こんにちは。

夏休みなので連投してみます(暇なのです)。

 

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、日本老年医学会が『高齢者の人生の最終段階における医療・ケアに関する立場表明2025』というのを発表しました。6月に発表されたんですね。僕はこの学会には所属していないので、ちょっと前に伝聞で知りました。

何か一つのテーマに言及したのではなく、老年医学に関する現代社会の課題を網羅して書かれています。関係者にとっての羅針盤と言ってもよいかもしれませんね。少しでも関連する仕事をしている方はぜひお読みになることをお勧めします(全文はこちらです)。

 

専門家の皆さんが協議して発表されいているわけで、その内容に解説を加えるとかましてやケチをつけるとかはできませんが、それでは話が終わってしまうので、ちょっとだけ言いたいことを言ってみます(偉そうな物言いになることをお許しください)。

 

立場表明の1番目に『年齢による差別(エイジズム)に反対する』と書かれています。このことをちょっと掘り下げてみます。1番目に書かれているのだから、真っ先に伝えたいことなのでしょう。世の中にはエイジズムがあふれている、ということに対する警鐘なのかもしれません。

エイジズムとは何か、というとWikipediaには「年齢に対する偏見や固定観念と、それに基づく年齢差別」と書かれています。年齢というのは一般的には高齢であることを意味しています。要するに、高齢であるという理由によって差別を受ける、ということです。

当たり前ですが、率直によくないことですね。ただ、老年医学会が簡単に、あまり解説を加えずに「反対する」と言ってしまうのは、ちょっと違和感があります。

 

日本老年医学会が2012年に『高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン』というのを発表しました(全文はこちらです)。この中で人工的水分・栄養補給法の『差し控え』と『中止』について(ある条件下では)肯定する、という趣旨の発表がなされています。これは「ある条件の下では、生命維持を目指した行為(通常は医療行為)を行わないことを容認する。ある条件の下では、生命維持を目指して施行されている行為を中止することも容認される。」と言い換えることもできます。当時非常に大きなインパクトを与えました。エポックメイキングと言ってもいいでしょう。

20世紀から21世紀初めのころまでは、どのような状態でにおいても生命維持を目指した医療行為は行わなければならない、いったん開始した生命維持行為は中止してはいけない、という不文律が支配的でした。医学においても、道徳においても、さらには司法においても。

そんな時代の中で、専門家が上記のような発表をしたことの意義は甚大でした。その時から時代が大きく動いたと言ってもよいと思います。

 

ものごとには良い面と悪い面が必ずあります。生命維持を目指した行為の『差し控え』と『中止』が堂々と語られるようになり、行き過ぎや反動が生まれました。政治利用もされています。そしてそこにエイジズムが持ち込まれています。パンドラの箱を開けた張本人である日本老年医学会さんはこの由々しき事態を憂い、確固たる決意をもって真っ先に「エイジズムに反対する」と表明したのでしょう。気持ちはよくわかります(偉そうですみません)。

 

しかし、ちょっと待ってください。

高齢者が高齢であるということを根拠に差別される(生命維持を目指した行為を差し控えられる、中止される)、というのが正しくないのは確かですが、一方で高齢者は高齢であるということを根拠にして優遇されている(医療費の自己負担割合、自己負担総額が低く抑えられている)、という事実もあるわけです。そしてそれを成立させるために現役世代の負担が大きくなっている(注:負担増の原因はこれだけではありませんが)という現状があります。

これが間違っているとは言いません。ただ、エイジズム(年齢による差別)に反対すると明言するのであれば、年齢による優遇(逆エイジズムとでも言う?)にも少しは触れてほしいと思ってしまいます。

 

この話題に関しては延々と話し続けることもできてしまうので、本日はこの辺にしておきます。

酷暑の中、くれぐれもご自愛ください。