『患者』という役割について

こんにちは。

今日は『役割』ということについて考えてみたいと思います。

 

「人はいつから『患者』になるのか?」 という問いがあります。

僕は、「人は医療者に接した時から患者になる」のだと思っています。

われわれ医療者の前で人は『患者』という役割を演じることになるのです。

それは好ましからざることかもしれませんが、必然です。『医療者と患者』という関係性を前提として医療は成立するのです。

 

病を患った人にとって、『患者』というのはひとつの『役割』だと思っています。

『レッテル』という言い方でもよいでしょう。

そして、その疾患が『がん』であったとき、『がん患者』という役割を担うことになるのです。

とても悲しくてつらいことですが、それが現実です。

では、その現実にどのように立ち向かえばよいでしょうか。

 

まず大事なことは、「常に患者である必要はない。」ということです。「常に患者という役割を演じる必要はない。」ということです。

極論を言えば、患者を演じるのは医療者の前だけで十分なのです。

 

人はみな、さまざまな役割を持ち演じています。それが他者との関係性を築くからです。

父親としてとか、母親としてとか、息子として娘としてとか、社員としてとか、サッカーチームの一員としてとか、旅行が好きな人としてとか、ラーメンが好きな人としてとか、役割は無限にあります。

そして、役割が多ければ多いほど人生は豊かになると言われています。

 

しかしながら、病を患い『患者』になった瞬間から、患者という役割が自分の中にたくさんある役割の第一位に躍り出てしまいがちなのです。

患者であるということを自他ともに最優先してしまうのです。これはもちろんわれわれ医療者の責任でもあります。

特にがんなどの重大な病を患うと、『がん患者』という役割に縛られてしまいがちです。

 

たとえば『がん患者』という役割を最優先して、常に演じてしまうと、それまでと同じようにさまざまな役割を演じることが難しくなってしまうのです。

そこから疎外感、孤立感につながってしまいます。

今まで所属していた社会、コミュニティーの中で、居心地が悪くなり、ついにはドロップアウトしてしまうことすらあります。

 

『患者』という役割を演じるのは医療者の前だけにして、普段は優先順位を下げてみてはどうでしょうか?

もちろん、体調に影響する疾患を忘れ去ることはできないでしょう。しかしながら、『役割』の優先順位を下げることはできるはずです。

患者である前に職業人であるとか、患者である前にお母さんであるとか、患者である前にラーメンが好きな人であるとか。

それは誰もが持つ権利です。自由なのです。

健康な人と同じようにふるまう必要はありません。患者という役割を1~2段階下げてみるのです。

 

そうすると、ちょっと景色が変わって見えるんじゃないかな。

世界はそれほど悪くないと思うのです。